子どもの頃、ゲームは外の世界をのぞく窓だった
子どもの頃、自分の好きなことはいつだってゲームでした。
全ての行動原理の中心が、ゲームだったといっても過言ではなかったかもしれません。
そしてそれは、大人になった今でも変わらないままです。
それでも、大人になってゲームをする機会が少しずつ減っていっています。
ゲームが好きなのに、いまいち電源ボタンを押す気になれない。
その理由について、思いを馳せてみました。
憧れの外の世界をのぞく窓
子どもの頃の毎日は、どこか窮屈で、同じことの繰り返しでした。
決まった時間、決まった道、決まった習い事etc、毎日が繰り返される、幸せだけど退屈な日々でした。
自分の力では日々の生活を変えることもできず、手の届く範囲の世界はとても狭かったからだと思います。
そんな日々の中で、1日30分のゲームはいつも特別な刺激をくれるものでした。
電源を入れてテレビの画面にドットでできた世界を見ているとき、そのときだけは、退屈な日々を過ごす自分から離れて、特別ななにかになれた気がしていました。
その四角いテレビ画面は、自分にとって、部屋の中から憧れの外の世界をのぞく「窓」のようなものだったのだと思います。
窓の向こうはいつだって、刺激にあふれた、楽しそうな憧れの世界でした。
コントローラーを握っている間だけは、その窓から身を乗り出して知らない世界を自由に歩き回れるような気がしていました。
あの頃の自分にとって、好きなことは本当にゲームだけだったと思います。
いつしか、窓の外にいた
大人になり、就職などのライフイベントを経るにつれて、ゲームをする機会は少しずつ減っていきました。
学生時代に徹夜で一緒にゲームをした友人とも、たまに会ったときには、最近ゲームしてないなー、という話もよくします。
特に自覚はありませんでしたが、目の前のやること・考えるべきこと・日々の忙しさに必死で没頭しているうちに、いつの間にかコントローラーから手が離れていたのだと思います。
その理由を深く考えることもなく、気付けば月日は過ぎていました。
ある日ふと、ゲームをしなくなったのは、もしかしたら自分はいつの間にかあの部屋の窓から外に出て、かつて憧れていたあの刺激にあふれた世界に立っているからかもしれない、と思うようになりました。
大人になってからの毎日は、思い通りにいかなくて胃が痛くなるような日もあれば、上手くいって自信に満ち溢れた瞬間もありました。
そのような日々の中で、楽しいこともしんどいことも、全部自分で受け止めて、自分で決めて自分で引き受けなければいけません。
子どもの頃に窓からのぞき込んでいた冒険は、ゲーム画面の中以外にも、目の前の現実の暮らしの中に、良くも悪くも溢れていたのかもしれません。
また窓をあける夜に
それでも、今でもゲームは好きです。
たまの休日の夜、重たい腰を上げてゲーム画面を立ち上げると、あの頃と同じようにやっぱりワクワクします。
ただ、あの頃のように退屈な日々から逃げ出したくて窓から外を眺めるのとは、少しだけ気持ちが違います。
今の自分にとってその時間は、あの頃の自分に会いに行く感覚に近いのかもしれません。
大人の世界を歩き回って疲れた自分を離れて、あの幸せだった日々を思い返すように。